現在までの生い立ち、略歴をご紹介します。
「どうやったらお金を1円も使わないで生活できるか。これをいつも頭の中で考えていました。」学生時代から10年間、一度も床屋に行ってお金を払ったことがありません。理由は簡単です。髪を切ってもらう代わりに合コンをセットするなり常に貸しを作っていたからです。相手のニーズを満たすことができれば人は動いてくれるということを実感した瞬間でした。
大学を卒業して三和銀行に入りました。「一つはお給料が良かったこと。2つ目は、いつかは商売をしたいと思っており、経済全般の勉強がしたかったから。そして3つ目は直接社長さんと話ができるところだからです。」 銀行時代の話はここには残念ながら書くことができませんが、人脈を作るために奇抜な方法を用いて銀行のノルマを達成していました。(どうしても聞きたかったらインターンに来てください。)
29歳で三和銀行を辞めた理由は明確でした。「自分で商売をしたい」衣・食・住という、生きていくには必要不可欠な物を勉強したかった為です。実家はアパレル会社を営んでいたこともあり、食・住をとにかく経験したいと思いました。友人がたまたま弁当屋を経営していて、不動産もやるから手伝ってくれと言われたことが転職のきっかけとなりました。その後は、忙しいときには午前6時から200個以上の御弁当を盛りつけ、午後からはスーツに着替えて不動産の仕事をしていました。「その当時からどんな人が、たくさんお金を稼いでいるのだろう」ということを常に考えていました。
ふとしたきっかけから、銀座のクラブのオーナーになりました。銀座のオーナーとして毎日接客をしながら「どうやったら店にくるお客様が、女の子目当てでなく自分目当てになるのだろう」ということを常に考えていました。20社と営業代行を交わした後、お店に来るお客様はいつしか女の子目当てから自分目当てになっていました。ここでも、自分の学生時代からの信念である“貸しを作ることで、コネクションを広げる”ことを徹底していました。お店に来たお客様には、相手によってはお酒をタダ同然で提供していました。そして、バリュークリエーションというベンチャーキャピタルの社長と出会うことになります。
天井社長との運命的な出会いで、社長室長兼日本ベンチャー協議会事務局長をやらせていただくことになりました。天井社長から言われたミッションはただ1つ。「ベンチャー協議会の会員企業の社長から困っていること、望んでいることをヒヤリングして報告してほしい。」これだけでした。一見簡単そうに思えたものの、自分より10歳、20歳、30歳も先輩の社長に対して、昼間のアポをとって話を30分続けることは難しいものでした。「何しに来たんだ。お前は誰だ。」この状況から自己紹介をして相手の懐に入っていくのは至難の業でした。その時の天井社長からのアドバイスが僕にとって救いの言葉となりました。「相手はオーナー社長だ。つまらない話をしたら相手にされなくなるぞ。どんな話に興味をもっているのか、それを考え続ければ道は開ける。年齢は関係ない。」それ以降はアポが入ったらその社長が喜びそうなネタを4つ、5つもって話をするよう心掛けました。おかげで2年間で約180社のオーナー社長と親しくさせて頂くことができました。 これが今の僕にとっては唯一かつ最大の財産となりました。
三和銀行時代から何か自分で商売をしたいと思っていたものの何をすればよいのかずっと迷っていました。そんな中ベンチャー協議会の社長から「学歴は全く関係なくやる気のある学生だけ面接できればとても効率いいのに。そんな会社ないかな。」と相談された。これが会社設立のきっかけです。又今から一年前、ワイキューブさんからの依頼で大学生の前で就活について講演する機会に恵まれました。僕はたまたま三和銀行員時代に新卒採用を6年間させて頂いており、「採用、不採用の分かれ目について」話をすると、もっと話を聞きたいという学生が出てきました。これがきっかけになり内田塾という塾をスタートすることになりました。内田塾をスタートしてから大学生との接点が格段に増えました。同時に大学の就職課とも情報交換するケースが出てきました。彼らは大企業の志望の学生には的確なアドバイスができるもののベンチャー志向の学生には思い通りのアドバイスが難しく、大学からの依頼で何人ものベンチャー企業の社長が講演を引き受けていました。 前置きが長くなりましたが 1.やる気のある学生を採用したいベンチャー企業と 2.ベンチャー企業に興味があり問題意識の高い大学生と 3.ベンチャー志向の学生に対して実践的なサポートをしたい大学の就職課、この3者のニーズを満たす架け橋になろうという考えで株式会社就職課は誕生しました。
Copyright © 2010 Uchida Masaaki. All rights reserved.